京で最も強い連中の集るところださうである。大概段をもつてゐる人達だ。
ここの常連にNさんといふ退役海軍大佐がゐる。この碁会所で明らかに僕より弱いのはこの人だけだ。Nさんは四段と打つても僕と打つても常先で打つ。決して置碁を打たない。置けば置くやうに負けるから、置かない方がさつぱりしてゐて気持がいいに極つてゐる。
ところが物のはづみで稀に四段が負けたりするから有頂天になるのである。一年か二年にたつた一度あることだが、それだけが楽しみで毎日打ち、毎日負けてゐるのである。
Nさんは六十|幾《いくつ》だが、気持は青年である。この碁会所は帝大の碁の選手の稽古場になつてゐるが、さういふ若い学生や僕達と酒をのむことが好きである。
近所のおでん屋に眼の青い娘がゐる。N大佐はこれを「スペインの女王」と称して繁々通ふ。通ひ憎いものだから、わざと酒を賭けて碁を打つ。碁を打てば負けるに極つてゐる御人だから、どうしても自分が奢ることになる。この戦略の成功しない怖れがない。そこで早速おでん屋へ駈けつける。
始めのうちは「息子の嫁に恰度《ちょうど》手頃だ」などと息子をとんだ犠牲者にしてせつせと通つてゐた。
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