砲隊の前には壕を掘り、竹の柵をかまへ、少数を射ちもらしても接近にてまどるうちに更に射ちとる、独創的な戦法によつて武田氏を亡してしまつたのである。
 日本の兵法がどんなにバカげたものかと云へば、甲州流だの楠《くすのき》流だの、みんな無手勝流、つまり実力なくして、戦はず勝つ、あるひはゴマカシて勝つ戦法。元々、信玄がどう、楠がどうした、信長がどう、人の手法を学んだところで落第にきまつてゐる、問題は信長の心構へで、実質的に優勢でなければならぬこと、実質の問題で、常に独創的でなければならぬ。日本人は独創的といふ一大事業を忘れて、もつぱら与へられたワクの中で技巧の粋をこらすことに憂身をやつしてゐるから、それを芸だの術だの神業だのと色々秘伝を書き奥儀を説いて、時の流れに取り残されてしまふのである。
 信長の死後六十何年か後に島原の乱が起つた時に、島原の反乱の農民軍は鳥銃を持つてをり、おのづから信長の戦法を自得して戦つたのに比べて、幕府軍は甲州流だか何流だか刀をふりかぶつて進撃、死屍ルイルイ、農民軍の弾薬がつきるまで、てんで勝負にならなかつた。しかも尚、その愚をさとらず、弾薬のつきるを待つた松平伊豆を
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