卑怯者と云ひ、弾丸に猪突して全滅、自らも戦死した板倉伊賀守を英雄と称してゐる。これが徳川時代の兵法であり、日本の民族的性格でもあるのである。
宮本武蔵は勝負の鬼であつた。彼は勝つためにあらゆる術策を用ひ、わざと時間におくれて相手をじらし、あるひは逆に先廻りし、岸柳《がんりゅう》が刀の鞘《さや》を投げるのを見て「岸柳の負けだ」と叫んで怒らせる。剣術のレンマに於て細心チミツであるのみならず、あらゆるものを即席に利用し、全霊をあげ、たゞもう勝つための悪鬼であつた。
然し晩年の武蔵は五輪の書をかき、剣の術ではなくて道をとき悟りをとき、彼は太平といふ時代に負けてしまつたのである。剣術は悟りをひらく手段ではない。剣を用ひて勝つ術であり、悟る手段としては参禅思索ほかにちやんと専門がある。
木村名人は壮年の宮本武蔵のやうな人だと私は思つてゐた。いつぞや双葉山を評して、将棋では序盤に位負けすると最後まで押されてしまふ、序盤に位を制すること自体が名人たる力量でもあるのだから、横綱だから相手の声で立つべきだといふことは如何なものであらうか、といふ意味のことを述べてゐたのを見て、私は感心したものだ。巷間
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