そんな無理をして悪コンヂションで戦ふのですかと倉島君がきいたら、
「いや僕はね、自分を悪いコンヂションに、相手には良いコンヂションに、それで戦ふタテマヘなんだ。こつちは無条件、相手の望む条件通り、うけいれて、指す。私からは注文をつけない、相手の希望はみんな通してやる、それで戦ふ、それでなきやいけないと思つてるんだ」
名人戦の第六局だかで、千日手になるのを名人からさけて出て、無理のために、破れた。自分を犠牲にして、負けた。その意気や壮、名人の大度、フェアプレー。それは嘘だ。勝負はそんなものぢやない。千日手が絶対なら、千日手たるべきもので、それが勝負に忠実であり、将棋に忠実であり、即ち、わが生命、わが生き方に忠実なのである。名人にとつては将棋は遊びではない筈で、わが生命をさゝげ、一生を賭けた道ではないか。常に勝負のギリギリを指し、ぬきさしならぬ絶対のコマを指す故、芸術たりうる。文学も同じこと、空虚な文字をあやつつて単に字面をとゝのへたり、心にもない時局的な迎合をする、芸術たりうる筈はない。
千日手が絶対たるべきものなら、それを避けて出た名人はフェアプレーどころではなく、将棋に忠実誠実で
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