策とか東京の名医を迎へに行くとか病人の食べ物を依頼に行くとか、私のための外出は始めてであつた。私は子供の遠足と同じやうに竹の皮の握り飯をぶらさげてゐたのである。私は幸福であつた。
目蒲《めかま》電車は事故を起して、単線の折返し運転。多摩川園前で乗客を降して、全員を渋谷行きへ乗換へさせる。二つの電車のラッシュアワーの混乱を一時につめこむから、座席も総立ちとなり網棚にぶらさがつても後から後から押しこんで、私の足は宙にういてせり上つて下へ落ちない始末、握り飯に執着して頭上へ持ち上げたのが運のつきで、心臓を防衛する腕を失つたから、全乗客の圧力がぢかに心臓にかゝつてきたが、もう持ち上げた腕を下すことができない。握り飯の代りに心臓をつぶすとは哀れな最後だなどと危篤昏酔のうちに、渋谷へついた。私はしばらく歩行ができず、押しだされるとホームの鉄柱にもたれて、意識の恢復を待たなければならなかつた。
東中野のモナミへついたのが九時半、塚田八段は来てゐたが、木村名人未だ来らず、東日の記者すらもまだ見えない。応接室のソファーにねて、水をとりよせ、救心といふ心臓の薬をのみ、メタボリンをのみ、ヒロポンをのんで
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