思つたぐらゐである。あのころはウヰスキーでもジョニーウォーカアの赤レベルだともう薬のやうに厭な味が鼻につき、私はコニャックかオールドパアでないと気持よく酔ふことができなかつた。今はメチルでも飲みかねないていたらくで、味覚の方が思想よりも下落してしまつた。そして近頃は酒量がすくなくなり、早く酔ふやうになつたから、却つて吐くことがすくなくなつたが、日本酒とビールは今もだめで、焼酎でもインチキ・ウヰスキーでもメチルの親類でも、ともかく少量で酔ふアルコールの方を珍重する。
昭和十二年の一月だか二月だかであつたと思ふ。私はドテラの着流しのまゝ急に思ひたつて京都へ行つた。隠岐和一を訪ね、彼から部屋を探してもらつて、孤独の中で小説を書いてみようと決意したのである。その晩私は隠岐に招待されて祇園のお茶屋で酒をのんだ。祇園の舞妓といふものを見るためであつたが、三十六人だかの舞妓がゐるうち二十何人だか次々に見せてもらつたが、可愛いゝのは言葉ばかりで、顔も美しいとは思はれず変にコマッチャクれてゐるばかり、話といへば林長二郎だのターキーのこと、伝統的な教養といふものを何も見出すことができない。十五六の女学生
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