呆気にとられるのだ)そして私達は飲み仲間の歓呼の声に送られて堂々と出発し、銀座を飲み歩いて巡査に叱られたり、そして、あつちのホテルだの、こつちの宿屋で酔ひつぶれた。けれども娘は頑として肉体の交渉を拒絶し、娘は私に、私は処女ではないのよと言つて抱きついて色々悩しいことをするのだけれども、この娘はたしかに処女とは如何なるものであるか、男女関係の最後の、交渉がどういふものであるか、全然知らなかつたのだと思ふ。だから私とこの娘は中原中也だの隠岐和一だの西田義郎だの飲み仲間の声援に送られて頻りに諸方のホテルで夜を明したけれども、まつたく肉体の交渉はない。私は思ふに、終戦後現れたフラッパーの中には案外この種の何も知らない女が相当数ゐるのではないかと考へてゐる。そしてこの種の何も知らない娘に限つて外形的に大無軌道をやらかすのではないかと考へる。
 私が京都に「吹雪物語」を書いてゐたとき、下宿屋の娘がこの年頃で京都|名題《なだい》の不良少女で、無軌道であつたが素直な気立のよい娘であつた。その後、中学生の三人の不良少年に強姦されて半狂乱になつてそれから転落が始つたが、結局この種の運命は仕方がないので、不良少女は大概よい魂の所有者なのだが教養が低いから堕ちると高さがなくなる。
 私の友達の十七の娘はその後結婚して良い母になつてゐる筈であるが、この娘はフランス文学者の娘で日本の古典文学に本格的な教養を持つてをり、私の原稿を読んで仮名や誤字を訂正してくれたが私が又今もつて漢字だの仮名遣ひなど杜撰《ずさん》極る知識の持主なのだから、あんまり沢山誤字があつたり仮名遣ひが間違つてゐたりして、十七の不良少女に仮名遣ひを教へて貰つて恐縮したものである。
 私は胃が弱いので、酒やビールだと必ず吐いて苦しむので、これはヂッと飲んでゐると尚いけない。少しづつ飲んで梯子酒をすると割合によい。一番よいのは汽車の食堂で、これは常に身体がゆれてゐるから、よく消化して吐くことが殆どないのである。だからダンスをやらうかと思つたが、昔のダンスホールは酒を飲ませないものだから、非常に厭味なところで、ダンスもつい覚える気持にならなかつた。それでも、どうも酒を飲んで動かないのが苦痛の種でありすぎたから、酒場の女給から教へてもらつて(四五日)ボックスといふ奴、これが又バカ/\しくて、いつそひとつ石井漠にでも弟子入してやらうかと
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