思つたぐらゐである。あのころはウヰスキーでもジョニーウォーカアの赤レベルだともう薬のやうに厭な味が鼻につき、私はコニャックかオールドパアでないと気持よく酔ふことができなかつた。今はメチルでも飲みかねないていたらくで、味覚の方が思想よりも下落してしまつた。そして近頃は酒量がすくなくなり、早く酔ふやうになつたから、却つて吐くことがすくなくなつたが、日本酒とビールは今もだめで、焼酎でもインチキ・ウヰスキーでもメチルの親類でも、ともかく少量で酔ふアルコールの方を珍重する。
 昭和十二年の一月だか二月だかであつたと思ふ。私はドテラの着流しのまゝ急に思ひたつて京都へ行つた。隠岐和一を訪ね、彼から部屋を探してもらつて、孤独の中で小説を書いてみようと決意したのである。その晩私は隠岐に招待されて祇園のお茶屋で酒をのんだ。祇園の舞妓といふものを見るためであつたが、三十六人だかの舞妓がゐるうち二十何人だか次々に見せてもらつたが、可愛いゝのは言葉ばかりで、顔も美しいとは思はれず変にコマッチャクれてゐるばかり、話といへば林長二郎だのターキーのこと、伝統的な教養といふものを何も見出すことができない。十五六の女学生と話をする方がどれぐらゐ清潔でいゝか分らない。踊りなども一向に見栄えのしない、たゞ手が延びたりひつくりかへつたり縮んだり、動かない方がよつぽどましだと私はウンザリして酒をのんでゐた。
 舞妓の一人に東山ダンスホールのダンサアが好きでそのダンサアと踊りたいと言ひだしたのがゐて、私達は自動車を走らせ四五人の舞妓をつれて深夜のダンスホールへ行つた。もう十二時をすぎてゐた。このダンスホールは東山の中腹にたつた一軒たてられた景色のよいところで、もし酒を飲ましてくれるなら、私は外の場所では酒を飲まないと思つたほどの良いところであつた。
 舞妓の一人が、踊りませうと私に言つた。よろしい、私は即座に返事をした。私がダンスホールといふところで踊つたのは、このときたゞ一度あるのみ。ドテラの着流しで小さな舞妓と(この舞妓は特別小さかつた)踊つたことがあるだけ。
 私はこのとき、酔眼モーローたるなかで一つの美しさに呆気にとられてゐた。それは舞妓の着物、あの特別なダラリの帯、座敷の中で踊つたりぺチャクチャ喋つてゐるときは陳腐で一向に美しいとも思はなかつたのだが、ダンスホールの群集にまじると、群を圧して目立つのだ
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