つて頑強に言ひ張つたけれども、処女であつたと思ふ。日本橋にウヰンザアといふ芸術家相手の洋酒屋ができて、そこの女給であつたが、店内装飾は青山二郎で、牧野信一、小林秀雄、中島健蔵、河上徹太郎、かう顔ぶれを思ひだすと、これは当時の私の文学グループで、春陽堂から「文科」といふ同人雑誌をだしてゐた、結局その同人だけになつてしまふが、そのほか中原中也と知つたのがこの店であつた。直木三十五が来てゐた。あの当時の文士は一城をまもつて虎視眈々、知らない同業者には顔もふりむけないから、誰が来てゐたかあとは知らない。
中原中也は、十七の娘が好きであつたが、娘の方は私が好きであつたから中也はかねて恨みを結んでゐて、ある晩のこと、彼は隣席の私に向つて、やいヘゲモニー、と叫んで立上つて、突然殴りかゝつたけれども、四尺七寸ぐらゐの小男で私が大男だから怖れて近づかず、一|米《メートル》ぐらゐ離れたところで盛にフットワークよろしく左右のストレートをくりだし、時にスウ※[#小書き片仮名ヰ、143−12]ングやアッパーカットを閃かしてゐる。私が大笑ひしたのは申すまでもない。五分ぐらゐ一人で格闘して中也は狐につまゝれたやうに椅子に腰かける。どうだ、一緒に飲まないか、こつちへ来ないか、私が誘ふと、貴様はドイツのヘゲモニーだ、貴様は偉え、と言ひながら割りこんできて、それから繁々往来する親友になつたが、その後は十七の娘については彼はもう一切われ関せずといふ顔をした。それほど惚れてはゐなかつたので、ほんとは私と友達になりたがつてゐたのだ。そして中也はそれから後はよく別れた女房と一緒に酒をのみにきたが、この女が又日本無類の怖るべき女であつた。
私は十七の娘のことを考へると、失はれた年齢を、非常になつかしむ思ひになる。もう、再びあのやうな嘘のやうな間の抜けた話はめぐりあふことが有り得ない、年齢的に、否、二十八の私は驚くほど子供でもあつた。
私はそのころ別の女の人に失恋みたいなことをして(これが又はつきり失恋でもないのだから始末がわるい、非常にいりくんだ精神上の絡みがあつた)さういふわけで、十七の娘のことなど行きづりの気持しかなかつたのに、娘の方では八百屋お七のやうに思ひこんで私を愛してこの娘は変な手練手管などまだ眼中にないのだから、酒飲みの私を愛する故に彼女も亦威勢よく酒をのみ(まつたく常にグッと、一息で誰でも
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