い洋酒をでたらめに註文して、黙つて睨合つてゐた。さういふ店へ私が初めて這入つた記憶であり、女がやつてきたが、私達が睨合つてゐるので退散した。
 瀬戸内海の海で、やりそこなつたこともあるし、自宅で薬品自殺して分量が多過ぎて却つて生返つたこともあつた。そのたびに手記が私の所へとどき、私は彼と睨合ふために出掛けなければならなかつた。
 ある夏の早朝電報がきて、私は渋谷の彼の家へ行つた。
 十四五――私はむしろ小学校の六年生ぐらゐだと思つた――少女がでてきて、私を座敷へ案内した。今に母親か姉(高木の妹)が出てきて話をするのだらうと私は思ひこみ、少女を眼中におかず、煙草をふかしてゐた。
 ところが少女は立去らない。卓を隔てて私の正面へピタリと坐り、団扇《うちわ》を使ひながら平然と私を見て笑つてゐる。
「兄が又自殺しさうですので御迷惑でも行つてみていたゞきたいのですけど」
 少女は笑ひを浮べながらさう言つてゐるのである。
「居所は横須賀の旅館なのです。もう死んでゐるかも知れませんけど」
 少女の微笑はいさゝかも破綻することがなく続いてゐる。私はうんざりせずにゐられなかつた。
 倅《せがれ》が自殺しさうだから駈けつけてくれといふのは分つてゐるが、その依頼を小学生にまかせる奴があるものか。その小娘が私の正面へ一人前にピタリと坐つて団扇を使ひながら落着払つて微笑しながら喋つてゐる。
 母親が不在のわけではなかつた。高木の母は長唄の名手で現にお弟子さんに教へてゐる三味の音が二階からきこえてゐる。
 自殺は馬鹿のすることだ。自殺をしたがる人間にも、その巻添で慌ててゐる人にも私はさういふ態度を結局見せずにはゐられない。それが私の本心だからである。
 けれども家族の感情は多少別のところにある筈で、慌ててゐても差支へはないのであるし、駈けつけてくれと頼まれて合点とばかり引受けるからには、多少先方が慌てたり悲嘆してくれなければ、引受けるこつちが変なものだ。
 宜しい。では横須賀へ行つてみませうと言ふだけのことでも、大人げなくて言ひ切れない有様である。庭に篠笹の植込があつて幽かにゆれてゐるのを、私は喋る気がしなくなつて、実に長いこと睨んでゐた。ぢや、横須賀へ行つてきます、私がさう言ふつもりで少女の方を振向いたら、やつぱり微笑してゐた。
 私は横須賀へ行つた。旅館できくと、彼は逗子《ずし》へ海水浴に
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