目が見えたという話ならば聞き及んでおりましたが、月の姫の寵愛の笛をこの私めが拾う縁に当ろうなどとは、夢にも思うてみませんでした。なるほど、あなたの笛であってみれば、もとより、お返し致さぬという非道のある筈《はず》がございましょうか。けれども、このような稀有《けう》の奇縁を、ときのまのうちに失い去ってしまうことは、夢の中でもない限り、私共の地上では、決して致さぬならわしのものです。まず、ゆるゆると、異った世界の消息などを語りあうことに致しましょう。さいわい、ほど近い山科《やましな》の里に、私の召使う者の住居があります。むさぐるしい所ではありますが、あなたの暫《しば》しの御滞在に不自由は致させますまい」
 天女はにわかに打ち驚いて、ありありと恐怖の色をあらわした。
「わたくしは急がなければなりませぬ」必死であった。「姫は待ちわびていらせられます」
「なんの、三日や五日のことが」と、大納言は天女の悲しむありさまを見て、満悦のために、不遜な笑《えみ》を鼻皺《はなじわ》にきざんだ。「浦島は乙姫の館に三日泊って、それが地上の三百年に当っていたという話ではありませんか。まして、月の国では、地上の三千
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