で、そして読むものだ。全てを書け。だから、読むのだ。喋る当人は魂のぬけがらだろう。こんなにハッキリしているものはない。
 だから、文士の座談会は本来随筆的であるべきで、文学を語るなどとは大いに良くない。読む方の人が、そんなところに文学がころがっていると思ったら大変、文学は常に考えられることにより、そして書かれることによって、生れてくるものなのだから。
 座談会は読物的、随筆的、漫談的であるべきもの、尤も、他の職業の人達の座談会のことは私は知らない。

          ★

 文士が深刻そうな顔をしなければならないのは書斎の中だけで、仕事場をはなれたときは、あたりまえの人間であるのが当りまえ。
 それに第一、深刻などゝいうのは、本人の気の持ちようにすぎないので、文学は文学それ自体である以外に、何ものでもない。
 サイカイモクヨクしたり、端坐して書かねばならぬ性質のものでもなく、アグラをかいたり、ねころんで書いたり、要するに、良く書くことだけが全部で、近ごろのように、炭もストーブもない冬どきでは、ねどこにもぐりこんで書く以外に手がなかろう。それを、寒気にめげず端坐して書いて深刻などゝは
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