づけでよんで、自分の小説の自慢をはじめるからである。
 酒に酔っぱらって対者の文学をやっつけることを当時の用語で「からむ」と云った。からんだり、からまれたり、酒をのめば、からむもの、からまれるもの、さもなければ文学者にあらず、という有様。私のような原始的素朴実在論者は忽ちかぶれてハヽア、文学とはそういうものかと思いつめる始末だから、あさましい。私は当時は中島健蔵とのむのが好きであった。なぜなら、ケンチ先生だけはからまない。彼は酔っ払うと、徹頭徹尾ニヤ/\相好くずしている笑い大仏で、お喋り夥しいけれども、からまない。要するに無意味なヨッパライで、酒というものは本来無意味なのだから、それが当りまえだ。酒をのんで精神高揚だの、魂が深まるだのって、そんな大馬鹿な話があるものではない。
 近頃の若い文学者は、やっぱり「からむ」飲み方をしているだろうか。たぶん、もっと利巧になっているだろう。酒は本来アラレもないものだから、とりすます必要も、粋だの意気がる必要もないが、からむのは、やめたがいゝ。元来、酔っ払って、文学を談じるのがよろしくない。否、酔わない時でも、文学は談じてはならぬ。文学は、書くもの
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