ずいぶん無責任な放言、大言壮語で、あさましいが、読者は喜ぶに相違なく、私も読者のオモチャになるのは元々好むところで、私は大馬鹿野郎であることを嘆かない。
けれども私は座談会は好きではない。その理由は、文学は語るものではないからだ。文学は書くものだ。座談会のみならず、座談すること、友達と喋り合うこと、それすら、私は好まない。
私は文壇というところへ仲間入りをして、私の二十七の時だったか「文科」という雑誌をだした。発行は春陽堂、親分格のが牧野信一で、同人は小林秀雄、河上徹太郎、中島健蔵、嘉村礒多、それに私などだったが、このとき私は、牧野、河上、中島と最も飲んだが、文学は酔っ払って語るもの、特にヤッツケ合うものというのが当時流行の風潮で、私にそういう飲み方を強要したのは河上で、私もいつからか、文学者とはそういうものかと考えた。小林秀雄が一番うるさい議論家で、次に河上、中島となると好々爺、好々青年か、牧野信一だけは議論はだめで、酔っ払うともっぱら自惚れ専門で、尤も調子のかげんで酔えないことの方が多い気分屋だから、そういう時は沈んでいる。彼の酔ったときはすぐ分る。まず自分を「牧野さん」とさん
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