私は何を書こうとしていたのだろう? 然り、然り。私は深刻はいやだ、と言いはっていたのだ。けれども私は理論的に言う術を知らないので、なんとなく、駄弁によって、ごまかしてしまう魂胆であったらしい。だが、だめだ。読者よりも、かく云う私自身をごまかすことが出来ないのだもの。けれども、私自身が、深刻な存在でないことだけは事実なのだ。
 私は屋根裏だの居候だの夜逃げだの、時にはたしかに息つまる思いで、それはそうさ、借金のサイソクには虎をかぶっても心臓は心細いだろう。私は然し、ナンセンス以外の何物でもなかった。私はうぬぼれをもっていた。自分の才能に自信をもっていた。今の世に受け入れられなくとも、歴史の中で生きるのだと言っていた。それは、みんな嘘である。ほんとは、そんなことは信じてはいないのだ。けれども、そういう風に言ってみないと、生きているイワレがないみたいだから、そんな風に言ってみるので、私は屋根裏で小説を書くとき、人によまれて、オモチャになればよいとすらも、考えていなかった。私はいつも退屈だった。砂をかむように、虚しいばかり。いったい俺は何者だろう。なんのために生きているのだろう、そういう自問は、もう問いの言葉ではない。自問自体が私の本性で、私の骨で、それが、私という人間だった。
 私は今も、突き放しているのだ。いつも突き放している。どうにでも、なるがいゝ。私は知らない、と。
 アンリ・ベイル先生! 五十年後に理解せられ、読まれるであろう、と。御冗談を。そんな言葉を、あなた自身、信じているものか。読まれるとは何事ですか。死んで、五十年後に読まれて、何だろう、それは。ファントム。それは幽霊だ。
 人生は短し、芸術は長し、それは勝手だ。然し、すくなくとも、芸術家自体にとっては、芸術の長さと人生の長さが同じことは当りまえではないか。人生だけだ。芸術は、生きることのシノニムだ。私が死ねば、私は終る。私の芸術が残ったって、そんなことは、私は知らぬ。第一、気持が悪いよ。私が死んでも、私の名前が残ったり、伝記を書かれて、こき下されたり、ほめられたり、でも、マア、私のために、もし何人かゞ、原稿料の種になって女房を養ったり、酒をのんだりするのだとすると、あゝ、その何割かを生きている私がせしめてやれぬのが残念。私は私の芸術が残るだの、死後に読まれるだのと、そんな期待は持っていない。
 私は突き放している。どうにでもなれ、と。私は行う。私は言い訳はしない。行うところが、私なのだ。私は私を知らないから、私は行う。そして、あゝ、そうか、そういう私であったか、と。
 私は書く、あゝ、そういう私であったか、と。然し、私は私を発見するために書いているのではない。私は編輯者が喜ぶような面白い小説を書いてやろう、と思うときもある。何でも、いゝや、たゞ、書いてやれ、当ってくだけろ、というときもある。そのとき、そのとき、でたらめ、色々のことを考える。然し、考えることゝ、書くことゝは違う。書くことは、それ自体が生活だ。アンリ・ベイル先生は「読み、書き、愛せり」とあるが、私は「書き、愛せり」読むのも、考えるのも、書くことの周囲だ。うっかりすると、愛せり、というのも、当にならない。私はそんなに愛したろうか、確信的に。私が、ともかく、ひたむきに、やったことは、書いたことだけだろう。
 私は然し、みんな、書きすてゝきた。ほんとに書きすてた、のだ。けれども、ともかく、書いたとき、書くことが生活であった。このことは疑えない。
 女に惚れたとき、酒をのむとき、私は舌をだすことも出来た。横をむくこともできた。私は金が欲しくて小説を書いた。私には分らない。私は断定することができないけれども、私自身は影のように、つかまえるところもなく、私の恋も、のんだくれの夜も、私は私の影のような気がする。
「書けり」というのが、たった一つ生活であったような気がするのは、それが決して快楽ではなく、むしろ苦痛であるに拘らず、そのために、他を犠牲にして、悔いないからであろうか。そういう、差引、損得勘定ではないだろう。
 やっぱり書くことが面白く、そしてそれが快楽であるのかも分らない。然し、快楽というものは不安なものだが、そして常に人を裏切るものであるが、(なぜなら快楽ほど人に空想せられるものはないから)私は書くことに裏切られたとは思われぬ。私は力が足らなかった。書き得なかった。そういう不安がないこともない。然し、書いた。書くことによって、書かれたものが実在し、書かないものは実在しなかった。その区別だけは、そして、その区別に私の生活が実在していたのではなかったのか。
 私は然し、生きているから、書くだけで、私は、とにかく、生きており、生きつゞけるつもりでいるのだ。私は私の書きすてた小説、つまり、過去の小説は、もう、
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