どうでも、よかった。書いてしまえば、もう、用はない。私はそれも突き放す。勝手に世の中へでゝ、勝手にモミクチャになるがいゝや。俺はもう知らないのだから、と。
 私はいつも「これから」の中に生きている。これから、何かをしよう、これから、何か、納得、私は何かに納得されたいのだろうか。然し、ともかく「これから」という期待の中に、いつも、私の命が賭けられている。
 なぜ私は書かねばならぬのか。私は知らない。色々の理由が、みんな真実のようでもあり、みんな嘘のようでもある。知識も、自由も、ひどく不安だ。みんな影のような。私の中に私自身の「実在」的な安定は感じられない。
 そして私は、私を肯定することが全部で、そして、それは、つまり自分を突き放すことゝ全く同じ意味である。

          ★

 私は小説を書きすて、投げだしているのだから、私は芸術は長し、永遠などゝは、夢にも念頭においてはいない。私は酔っぱらうと大言壮語、まるで大芸術家を自負する如くであるが、大ヨタなので、私は今と、これからの影の中で、うろつきまわっているだけなのだ。
 私はちかごろ私の小説が人によまれるようになったことも、一向に面白いとも思われず、屋根裏だの居候の頃と同じことで、そして、別に、年齢が四十をすぎたというようなことも、まるで感じていない。私の魂は一向に深くもならず、高くもならず、生長したり、変化している何物も感じていないのだ。
 私はたゞ、うろついているだけだ。そしてうろつきつゝ、死ぬのだ。すると私は終る。私の書いた小説が、それから、どうなろうと、私にとって、私の終りは私の死だ。私は遺書などは残さぬ。生きているほかには何もない。
 私は誰。私は愚か者。私は私を知らない。それが、すべて。



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新生 第三巻第二号」
   1947(昭和22)年3月1日発行
初出:「新生 第三巻第二号」
   1947(昭和22)年3月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年1月26日作成
青空文庫作成ファイル:
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