めてあるのである。
「コンドル」という、これはつまらない映画であったが、然し、そのなかで、墜落事故で瀕死の飛行士が、これから死ぬから、みんな別室へ行ってくれ、死ぬところを見られたくないから、という場面があって、身につまされたことがあった。
 もっとも、人は病気になり高熱になやむときには、幻覚と孤独感に苦しめられ、非常に人がなつかしくなるもので、病床の身辺に誰かゞいて起きていてくれないと夜など寂寥に息絶ゆる苦悶を覚えるものであるから、凡愚の私が死床で孤独でありうる勇気があるのかはかりがたいけれども、身辺の人のほかに、死ぬところなど、見ていてもらってはやりきれない。
 人間は生きているうちが全てゞある。社会人としての共同生活でも、生きている人のためには、色々とはかりたいが、死んでしまえば、もう無、これはもう、生きた生活とはかゝわりがない。
 友人同志でも、生きているうちこそ、色々と助け合い、励まし合うことが大切で、死後の葬式の盛儀を祈るなどゝいうことに、私は関心を持ちたいとは思わない。
 私自身は、私自身の死後の名声などゝいうことは考えていないのである。然し、それは仕事をソマツにするという
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