なる人格が為し得たにすぎなかつた。
近頃、講談や浪花節で「長短槍試合」といふのを、よく、やる。
豊臣秀吉がまだ信長の幕下にゐた頃の話で、槍は長短いづれが有利かといふ信長の問に、秀吉は短を主張した。そこで、長を主張する者と、百名づつの足軽を借りうけて、長短の槍試合をすることになつたが、長を主張した者の方では連日足軽共に槍の猛訓練を施すにも拘らず、秀吉の方は連日足軽を御馳走ぜめにし、散々酒浸りにさせるばかりで、一向に槍術を教へない。が、試合の時がきて、秀吉勢は鼻唄まぢりの景気にまかせて、一気に勝を占めた、といふ話なのである。
今迄は余り口演されなかつたこの話が、近頃になつて俄に講談や浪花節で頻りにとりあげられるといふのは、多分時局に対する一応の批判が、この話に含まれてゐるのを、演者が意識してのことであらう。それも、兵士達にふだん遊びを与へる方が強い兵士を育てるといふ内容通りの意味よりも、我々の日常生活に酒が飲めなくなつたり、遊びが制限せられたりして窮屈になつたことに対して、自分の立場から割りだした都合の良い皮肉であり注文のやうな気がするのである。
ふだん飲んだくれてゐたつてイザとな
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