くて、何事を語ったか、ということであるが、語り方がなければ、語られる物はなく、語り方が変れば、語られる物も変る。語っているようにしか考えられず、又、事物は在り得ない。小説の実在性というものには、それだけの絶対性があるのである。
小説の技法などというものは、言い現わし難いもので、自ら会得する以外に仕方がない。小説家は、常に小説の中で全てを語りつくすべきもので、僕が今、講談に就て語ったことも、意をつくしてはいないし、又、つくそうとも思っていない。ただ、講談の口調をややとりいれて小説を書いているのは本当だが、講談というものを特別意識しているわけでもないのである。ただ、講談という言葉を一つとりあげたから、こんな風な文章になっただけの話である。この小説は、もう三ヵ月ぐらいで出来上ります。
底本:「坂口安吾選集 第五巻小説5」講談社
1982(昭和57)年6月12日第1刷発行
底本の親本:「現代文学 第六巻第三号」
1943(昭和18)年2月28日
初出:「現代文学 第六巻第三号」
1943(昭和18)年2月28日
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林
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