し、よし。それなら、骨壺を預りましょう。本堂へかざって、三七日ほど、ねんごろに読経してあげよう」
和尚は仕方がないから骨壺をひきとった。さもないと出向いてお経をあげなければいけない。本堂にひきとって飾っておくぶんには、ほッたらかしておいても、誰にも分らない。
そのうちに、ソノ子が行雲流水から戻ってきたから、本堂へよんだ。
「実はな。お前の留守中に吾吉がクビをくくって死んだよ」
「そうですってね。死神に憑かれたんでしょう。そんな男、たくさん、いてよ」
「漬物屋のオカミサンが怒鳴りこみやしなかったかい」
「まだ来ませんけど、今さら、仕様がないじゃありませんか」
「それもそうだが、吾吉はお前に使った三十万円が心残りだそうでな。骨壺が深夜になるとガタガタ騒ぐ。おかしいというので、あけて調べてみると、前歯に三十という字が浮きでゝいるのだよ。三十万円で浮かばれないというワケだ。それ、そこにあるのが吾吉の骨だから、拝んでやりなさい。回向《えこう》になるよ」
「私はイヤです。拝むなんて」
ソノ子は怒った。
「おとなしく死んだんなら拝んでもやりますけど、私に恨みを残して死んだなんて、ケチな根性たらありゃしないわ。それなら、私も憎みかえしてやります。私はお父さんにお尻をぶたれた時から、世の中を敵だと思っていますから、吾吉の幽霊なんか、なんでもないわ」
「気の強い娘だよ。これほどの娘とは知らなかったね」
和尚は骨壺を持ってきて、中を掻き廻して前歯をとりだした。
「これ、これ。ここに三十とあるだろう。拙僧は、奴め、口惜しまぎれにクビククリの寸前にアブリダシを前歯に仕掛けやがったなと睨んだが、漬物屋のオカミサンは、亡魂がこの地にとどまって、歯に文字を書いたというのだよ。あゝいうウスバカは執念深いから、死後にも何をやらかすか分らない。ワシはお経をケンヤクするから、奴め、なかなか浮かばれないな」
ソノ子は歯をとりあげて、見ていたが、怖れる様子は一向になかった。
「いゝわよ。憎んでやるから、覚えてるがいいわ。あんた一人じゃないわ。これから何人だって、こんなことになるでしょうよ」
ソノ子は大胆不敵なセセラ笑いをうかべて、前歯を骨壺の中へ捨てた。
「いゝ度胸だ。お前は好きな人がいるのかい」
「大きなお世話だわ」
「お世話でもあろうが、教えてもらいたいね。当世の女流はわけが分らないから、指南を仰ぎたいのだよ。ワシもダイコクを三人もとりかえたり、その又昔はコツやナカへ繁々と通ったものだが、当世の女流はわからん」
「私のお尻をぶちながら死ぬなんて、卑怯でしょう。吾吉だって、同じように卑怯なのよ。男はみんな卑怯だと思っていゝわ。私は、男なんか、憎むだけよ。みんなウスバカに見えるだけよ」
「なるほど。そんなものかな。そういえば、たしかに、男はウスバカだよ。とんだヤブヘビとは、このことだ。しかし、吾吉は、お前を叩き斬ッてきざんでやりたいが、そうもいかないから、せめて坊主にしてくれたいと恨んでいたから用心するがいゝ。亡魂は根気のいゝものだ。坊主をしていると、よく分る。三代まではタタラないが、一代だけは根気よく狙いをつけているものだよ」
ソノ子は薄笑いをうかべただけで、返事もせずに、サヨナラと帰ってしまった。
和尚はシミジミ骨壺を見つめた。男はみんなウスバカに見えるという言葉が、身にこたえたのである。
男はたしかに凡夫にすぎない。ソノ子のお尻の行雲流水の境地には比すべくもないのである。水もとまらず、影も宿らず、そのお尻は醇乎《じゅんこ》としてお尻そのものであり、明鏡止水とは、又、これである。
乳くさい子供の香がまだプンプン匂うような、しかし、精気たくましくもりあがった形の可愛いゝお乳とお尻を考えて、和尚は途方にくれたのである。お釈迦様はウソをついてござる。男が悟りをひらくなんて、考えられることだろうかと。
亡魂この地にとゞまり、前歯に恨みの三十万円を書きしるして、夜ごとに骨壺をゴソゴソ騒がせるという吾吉は、男の中の男勇士かも知れない。明鏡止水とはいかないが、ウスバカにしては出来がよい。和尚は骨壺に、はじめて親愛の念をいだいたのである。けれどもドブロク造りが忙しいので、お経はよんでやらなかった。
★
和尚がソノ子の家を訪ねたとき押入れへ隠れた男は、ソノ子と最も深間へ落ちているウスバカの一人であった。彼はソノ子をつれて三週間の出張旅行を共にしたが、出張とはデタラメで、公金を持ち逃げして、盲滅法逃げまわっていたのである。つまり吾吉と同じ境地であった。
帰京して、ソノ子から吾吉のクビククリの話や骨壺の話をきいて、つくづく情ない思いになった。彼自身、せっぱつまり、クビククリの一足前まで来ていたからである。
「吾吉氏とボクとは違うだろうな。
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