て、又五郎が赤鬼の顔、ジリジリとすすむと、数馬がジタリジタリ油汗をしたたらせる、そういうことなのである。
 六十二級の観戦記が同じことしか分らない。心眼の復讐などと大きなことを云いながら、又五郎がジリジリすすむ数馬がジタリジタリ油汗、それぐらいしか書けないので、心眼が泣くのである。しかし、いくら泣いたって、それしか書けない。
 観戦屋の絶望。そんな風に言ってみるのも悪くはないが、私は絶望なんてことはしない。しかし、なんとなく、観戦屋がイヤになった。もうタクサンだゾと叫んだのである。
 そこで今年は巷談屋を開業した。
 よろず勝負ごとだけが人間の見物するものと限ったわけではないのである。暗黒街でもエロショオでも泥棒でも心中でも見物することができる。
 第一、伊東のような田舎に閉じこもって、面会謝絶、風流三昧とはいかないが、なんとなく精神の善美結構などつくしたような閉舎にふけっていると、てんで世間がわからなくなる。たまには上京もすべきであるが、汽車にのって新橋へついて酒をのんで酔っぱらって帰ってくるだけでは都の風も身にしみない。
 そこで雑誌社の世話で、まず東京へつくと、自動車が待ちかまえている。これにのると、暗黒街とかエロショオとか泥棒心中の現場のたぐいに運ばれて、ちょッと人の見物できかねるものをユックリ見せてもらって、又、スルスルと自動車で今度は酒場へ。これだ。こんなウマイ手があるのである。それが巷談屋開業の重大決意(この言葉はこんな風に用いる)をかためるに至ったナイショ話というわけだ。おまけに全部官費で、どこまで間が良いか分らない。
 巷談屋を開業する。開店そうそう大評判、ソレというので、大小新聞、あらゆる綜合雑誌(キングを含む)みんなオレのところへ巷談よこせ、といって押しかける。そうは参らん。そんなに見たり書いたりできない。一ヶ月は三十日、巷談屋の身は一つ、仕方がない。盛大な創業ぶりであった。
 共産党文学青年の総反撃は巷談初の受難であるが、もとより私は驚かない。こんなにウマイ汁を吸うからには、暗黒街でピストルのそれダマをくらったり、エロショオでは警官に追いまくられたり、多少の受難は諦めてかかっている。巷談屋の心構えというようなものは、ちゃんと身にそなわっているのである。
 しかし、共産党は、言葉も知らないし、言葉の用い方も知らない。
「まだ生きていたか!」
 こう書いてある。まだ生きていたと見てとって、トドメを刺してやろうという見幕らしい。
「それでも日本人か!」
 言い合したように、こう怒る。なぜ怒られるのか、のみこめない。
「民衆の心はキサマから離れている」
 嘘ではないのである。たしかに彼らのある者はこういう風に、もしくは、こういう意味のことを私に向って叩きつけているのである。
 共産党以外の人には分る筈だが、この文句は、時の首相とか、政党の指導者などに用いるもので、巷談屋には用いない。用いて悪い規則もないが、巷談屋とヒットラーには、用いる言葉がおのずからそれぞれに相応したものでなければならない。
 こう断定した共産党は静岡県の富士郡というところの何々村の住人だ。行って見たわけではないが、富士山の麓のヘキ村だろう。そんなところに住んでいても、民衆の心が巷談屋から離れているのをチャンと見ているのである。
「キサマの末路はわかってる」
 そうか。さては末路も見破られたか。どうしても末路を見破り、人民裁判にかける意向が明かなのである。彼らは骨の髄から懲罰精神でかたまっているらしい。つきあいにくい人種である。
 西洋の童話には森の妖婆がでてくる。これが共産党の先祖で怖しい呪いをかける。末路を予言するのである。口の中でブツブツ言うのだが、赤頭巾を食う狼よりも兇悪不逞で、人間の敵だ。腰のまがった妖婆とちがって、威勢のよい共産党はもッとハッキリきこえよがしに呪いをかける。近代的だか軍人的だか知らないが、人間の敵には変りがない。森の妖婆の中にも「善い妖婆」がまれにはいる。シンデレラ姫についた妖婆がそれである。私にはそんな共産党はついてくれない。そして私はどうしても人民の名によって吊しあげられることになるのである。
 しかし巷談師はこんな不景気な手紙ばかりもらうわけではない。

          ★

「もし、もし。ちょッと、ちょッとオ。待ってえ! 坂口さん」
 巷談師のうしろから大声で叫びながら、自転車で追ってきた女の子がいる。この温泉町はパンパンが大通りへ進出して客をひッぱるので有名だが、自転車で追っかけた話はまだきいたことがない。
 見たところパンパンと見分けがつかなくて、同じぐらいの年恰好だ。
「コーダンの坂口さん? そうでしょう」
「……」
「そうでしょう? そう言ったわ。坂口さんね?」
「そう」
「じゃア、いッしょに、
前へ 次へ
全6ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング