作家論について
坂口安吾

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)懐《いだ》いて
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 僕の小説によらず、感想によらず、自分を表現する以外に、又、自分の思ふことを人に通じようとする以外に、余念はない。
 いはゞ、僕自身の露呈に外ならぬ次第で、さうまで自分を表現したければ、「坂口安吾論」を自分で書けばいゝやうなものではあるが、未だにさういふものを書かないのは、書く必要、書く意味を認めてゐないからである。
 僕は、自分や、自分の思想を表現するのに最も好都合の形式が小説であるために、小説を書く。若し評論が好都合なら評論の形によるであらうし、自伝が好都合ならば自伝に、坂口安吾論が好都合ならば、坂口安吾論によるつもりである。
 僕は時々自伝ならば書きたいと思ひ、やがて(もう二三十年も生きてゐたら)或ひは書くかも知れないといふ予想を持つことがないでもない。
 けれども、自伝以上に、他人の伝記を書きたいといふ気持があり、無論それは小説としての意味で、全然架空の人物の伝記かも知れないけれども、さういふ伝記なら、現に今も、時にやりかけてゐる。
 自分を表現するために、なぜ他人
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