の一生をかりるか、文学の謎のひとつが、ここにも在ると思ふ。
万里の長城も尚文学を防ぎ得ないほどその魔力は万能と云はれながら、然し、人は文字をあやつるのに決して万能自在ではない。数千年の道徳が我々の性に近くなつて多くの文字を歪める働きもしてゐるし、元来、人間の複雑極まる表裏はその一を言ふために、必ずや他の一を覆ひ隠す不法を犯させがちである。
特に、自分を表すに就て、もし我々が自分を意識したならば、もはやその限定から脱けだすことができないだらう。もし我々が、小説を書くに当つて、自分を意識したならば、自分はすでに、唯それだけのものでしかない。
けれども、凡そ人間は、常に自分自身をすら創作しうるほど無限定不可決な存在である。我々が現に自分自身に就て懐《いだ》いてゐる認識のひとつが、いつ、その逆のものにならないとも限らない。我々は、熟知してゐることを正確に表現されたものを読む場合にも成程と思ひはするが、全然思ひもよらぬ真実を見せられた場合には、驚愕と共に目を打たれるではないか。そのとき、我々は、自分をひとつ、見つけたのである。
我々は小説を書く前に自分を意識し限定すべきではなく、小説を書
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