ぬ思ひになつたのは去年の暮のことで、然し、今、尚、この小説を正視する勇気はない。

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 今尚かくの如き私であるから、私はこの墓を書きすてることによつて、すべてを墓に封じ得るどころか、むしろひろがる悪夢に悩み、新らたな視野へ生活へ、かどだつことは不可能だつた。この本を出版後の東京に於ける一ヶ年の荒れ果てた生活、次に利根川べりの取手といふ町の一ヶ年の流浪生活、それから更に一ヶ年、小田原に於ける流浪、私の魂が流浪し、さまよひ、淪落の底にまみれて、ともかく私が多少とも新らたな発足を新らたな視野を自覚し、表現し得たのは、三年の後のことであつたのだ。
 そして私が、ともかく今日につづく、やや確信的な何か、表現すべき何かに就いて信念と自覚を持ち得たのも、「吹雪物語」によつてでなしに、吹雪物語を書いた後の自信の喪失、絶望、その京都に於ける絶望の生活からの内省と、その脱出のための苦しみの結果であり、私の新生は、私の過去を埋めた墓の土を起して現れずに、その墓を作りつつあつたときの私の生活、墓の母胎たる私自身の絶望の生活から現れてきた。思へば私は「吹雪物語」を墓のつもりにしてゐたが、
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