再版に際して〔『吹雪物語』〕
坂口安吾

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)現身《うつしみ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地から15字上げ]一九四七年三月七日
−−

 この小説は私にとつては、全く悪夢のやうな小説だ。これを書きだしたのは昭和十一年の暮で、この年の始めに私はある婦人に絶縁の手紙を送り、私は最も愛する人と自ら意志して別れた。
 それは私にとつては、たしかに悲痛なものであつた。私はその婦人と、五年間の恋人だつたが、会つたのは合計一年にもならない年月で、中間の四年間は、私は他の女と同棲してゐた。会はなかつた四年の年月は、私の心に大きな変化を与へ、尚、初恋の女としての焼けつくやうな幻が私の胸にあるにも拘はらず、再会したその人は、別人だつた。
 否、別人ではなかつた。私は尚、その人と会ふ、別に話もない、退屈してゐる、そして別れる、別れたあとの苦しみは話のほかで、それは四年以前のあの苦しみと全く同じ激越なものであつたが、会つてゐる時の私が、もう、昔の私ではなかつたのだ。
 その人はもう、現実の女の一人にすぎず、私の特別な、私の心にのみ棲む、あの女ではなくなつてゐた。まさしく私はあの人と会はなかつた四年間に、あの人を夢の中の女に高め、そして現実を諦めてゐたのであつたが、四年目にあの人の方から現れてきた。そして私を混乱逆上させ、私を夢から現実へ戻してしまつたのだが、ひところ、夢に高めるといふ奇妙な幻術に自ら咒縛した私の方では、夢と現実のこのギャップには、やりきれない苦しみを味はされたものだ。
 一度夢にした女が現実に現れるといふ、それ自体実際ありうべからざる怪談なので、何よりも、その現実に対する絶望の切なさに私は衰弱したものだ。夢が現実になる、然し、恋情の如き場合に、夢の女がそつくり現実の女になりうることが有るべき筈のものではなく、現実のもつ卑小さに、現実の悲しさに、私は惨澹たる衰弱をした。
 そのあげくに私が遂に決意したのは、この人に関する限り、現実と訣別しようといふことだつた。
 実に矛盾撞着、われとわれを疑らざるを得ないことも、私はそれをやらねばならぬ人間であつた。否、私はやはり、それをやり得た私を愛し、なつかしむ。私には、それによつて、満ち足りた面もあり得たことを信頼せずにもゐられない。
 現
次へ
全6ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング