実を殺して、夢に生きようとした私は、然し、夢にのみ生きることを全部だとは思へなかつた。一人の女に関する限りは現実を殺したのだが、私はそこで、ここで私の半生に区切りをつけて、全く新しく、別の現実へ向つて発足しなければならないのだと考へたものだ。
そして私がこの小説を考へたのは、ここに私の半生に区切りをつけるため、私の半生のあらゆる思想を燃焼せしめて一つの物語りを展開し、そこに私の過去を埋没させ、そしてその物語の終るところを、私の後半生の出発点にしようといふ、いはば絶望をきりすて、絶望の墓をつくり、私はそこから生れ変るつもりであつた。
昭和十二年、丁度、節分の前夜であつたと思ふ。私はひとり京都に向かつて出発した。京都に隠岐和一がゐた。隠岐は然しやがて上京する筈で、私はつまり、彼が京都にゐるうちに京都へ着いて、彼から部屋を探してもらひ、そして、隠岐を東京へ送つて、私はたつた一人、京都へ取り残されたいといふ考へであつた。私は孤独を欲したのだ。切に、孤独を欲した。知り人の一人もをらぬ百万の都市へ屑の如くに置きすてられ、あらゆるものの無情、無関心、つながりなきただ一個、その孤独の中で、私は半生を埋没させて墓をつくる仕事をし、そして、そこから生れ変つて来ようといふ切なる念願をいだいてゐた。
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だが、かかる念願をもつて書きだした私も、架空な女を相手にして(架空でもない、多少の手がかりはある女だが)ゐるうちはまだ良かつた。やがて、あの人らしきものが現れてはもうだめ、私の観念は混乱分裂、四苦八苦、即ちロマンと称し、物語的展開とか、発展と称する手法の自在性を悪用して徒らに、自我を裏切り、裏切りながらシッポをだし、私の夢と私の現実といふものは、あそこでは、ただ、各々嘘をつき、自分をだまさうとし、心にもなく見栄をはり、空虚醜怪な術策、手レン手クダのあげくにシッポをだす、といふのが、つまりは、この気取り、思ひあがつた小説の性格をなすに至つてしまつた。
私は絶望し、泣いた。この小説は昭和十二年の五月には、すでに七百枚書きあげられてゐた。七百枚の小説は私の机上にのつてゐたから、私は、その机の方を見ることすら、できない。全くなのだ。ふと目が行くと、慌てて目をそらし、そしらぬ顔をするといふテイタラクで、さういふ時、窓へ目をそらし、窓から見た京都の山々のクッキリと目にし
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