峠へ向かつたり、歩いてゐる。私はオプチミストではなかつた。然し、オプチミストになつたのだ。そして、オプチミストになり得たことを今は、ともかく、最も誇る。私は更にオプチミストにならなければならず、そしてオプチミストたることを、真実誇る。そのオプチミズムを批評家は笑ふが、真実絶望を知らざる者に、オプチミズムは分らぬ。私は更に偉大なオプチミストとなる為に、多くの影を墓に埋めて行くであらう。あらゆる墓がインチキで、形ばかりで、嘘いつはり、毒にまみれて、常に馬脚をバクロしつづけてゐるであらう。
 私はもはや、あらゆる私のインチキな墓を人前にさらすことを怖れない。その如くに、私はオプチミストたり得た。そして私は、敢て怖れげもなく、この小説をイケニヘに、人間の神殿にささげる。神々よ、無味乾燥、水よりも空虚な毒血の中に、哀れな小さな男の悪戦苦闘、思ひあがりが、おのづから諧謔をなしてゐる悲しさを憐れみたまへ。私は今なほ、ただ一行の諧謔にすぎぬ小さな哀れな人間であります。私の埒もない空疎な毒血をふくむ神々の口に、せめて一片の苦笑なりとも刻まれんことを。
 私の小説は、虚しく、然し、常に絶望を踏んで立上るために、書かれ、書かれることによつて見出し、知るために、そして、虚しく書きすてられてきたものだつた。あらゆるものが書きすてられ、踏みすてられてきた。常に虚しく、私はただ、捨てたものから、上に向かふ。何処に、何物に、私は向かひ、行きつくのであるか、すべてが私には分からない。
 このインチキな虚しい墓に、私の真実の屍体は埋まつてゐない。その虚しい墓にきざまれた虚しい文字に何物がイツハリ、かくされ、祈られてゐるか、それは読者にまかせる。私はいかなる裁きにも応ずる。私自身には分からないのだ。全てが虚しく、偽りであるために、真実の切なさが、私の目を覆ふ。私には、何も見えない。

[#地から15字上げ]一九四七年三月七日
[#地から8字上げ]東京・蒲田にて
[#地から2字上げ]坂口安吾



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「吹雪物語」新体社
   1947(昭和22)年7月5日発行
初出:「吹雪物語」新体社
   1947(昭和22)年7月5日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りに
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