脱いで紅葉の枝に懸け、谷川へヂャブヂャブ潜り込んでしまつた。谷川は此の場所だけはかなり広さもあり、深さも場所によつては鳩尾《みぞおち》まではあるのだつた。龍然は腹を下に両手を拡げてブクブクとやつたり、急に背を下にしてヒラリヒラリと体をかわしながら又腹を下にしてみたり、凡そ泳ぎ以外の色々の術を試みるのであつた。谷底の木暗いしじまで握飯《むすび》を食べ終ると、龍然は凡太にもすすめておいて、自分は平たい岩塊の上へ仰向けに寝転び、やがて深い睡りに落ちてしまつた。肋骨や手足の関節が目立つて目に泌みるその不健康な裸体を見てゐると、まるで痩衰《やせおとろ》へた河鹿《かじか》が岩にしみついてゐるやうにしか思へないのであつた。魂などといふものは勿論、およそ「生きてゐる」といふ何等かの証拠を、まつたく何処にも見出すことの出来ない残骸といふ気がした。凡太は睡る気持にもならなかつたので、それから龍然が目を醒ますまでの三時間ばかりといふもの、変に淋しい自棄《やけ》な気持になつて、水へがぼがぼ潜つてみたり、ふと気がついて頭をあげると谷の枝枝に鳴りわたる風音が耳についてきたり、上の藪を這つてゆく縞蛇に出会つたりした
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