降りた時あの時一度だけではなかつたのか。思へばあれは、長い距離《みちのり》の丁度中頃に当る辺りであつたに違ひない、何か目印でもあるのであらう、龍然は突然谷川の曲点《カアブ》を指し示してあそこで休もうではないかと言ひ出した。見下せば、水音はきこえるが、水の色さへ定かには目に映らない深い深い谷であつた。急峻な藪を下る時ひとたび足を滑らしたならば危険極まるものであるし、降りるには降りても、又登る時の苦痛を考へたなら、なまなかの休息には楽しみを予想する気持にもならないのであつた。しかし龍然は言葉を捨てると何の躊躇もなくはや藪の中へ足を降ろしはぢめたので、同じ動作を凡太も亦行はざるを得なかつた。しかし降りはぢめてみると、むしろ危いのは龍然の足どりだつた。彼はしかつめらしい自信顔で凡太を庇ふやうに時々ふり仰ぎながら、そのくせ彼自身危い腰つきで、どどどうつと一二間滑り落ち、辛うじて立ち止ると自分の様子には一向無反省で、いましめの眼をけわしくぢつと凡太の足もとへふり注ぐのが一つの滑稽であつた。此の道を通る時、龍然は恐らくこの同じ場所で同じ休息をとる習慣にちがひない、降り切ると、当然の順序のやうに衣服を
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