村の、人気ない白い街道を、龍然と二人肩を並べて一言も物を言はずに通過してしまつた。谷間からどす黒い靄が湧きあげて、近い山さへまるで視界には映らない、そして、蜩の音が遠い森から朝の澱みを震はして泌みる頃、丁度朝の目醒めを迎へたであらう黒谷村は、振り返つても、もはや下には見えなかつた。由良は朝の一番列車に間に合はせて、自動車で停車場へ来る筈になつてゐた。
「君、東京へ帰つたら、忘れずに手紙を呉れたまへ」
 龍然はだしぬけにそんなことを言つて、まだ停車場へ七八里もあるのに、凡太に握手を求めた、「又来年もぜひ来てくれたまへ」と附け加へながら暫く手を離さなかつたりして。そして長い中絶の後に、もう一里も歩いてから、又さつきの話を思ひ出して、「もし来年も達者でゐたら……あははは――」と笑つたりした。さうかと思ふと、凡太の言葉にはまるで邪慳に耳もくれず、ただすたすたと歩いてゐた。
「どうだい。君にあの女を進呈しやうかね」
 龍然は又、いきなりそんなことも言ひ出した。
「尤もあんな女ではね。しかし、女郎や淫売よりはたしかに清潔だから、そのつもりで玩具にする気なら、いつでも自由に使用したまへ。どうせ女衒の
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