かと訊いてみるにも言葉はもはや不用なものに考へられ、胎内に充満してくる空虚を味得した。
 もう山は秋が深い。それは、昼の明るさが尚寂寥に堪えがたくて、ひたすら死滅へ急ぐもののやうにしか考へられぬ蝉の音の慌ただしさや、已にいそがわしく遠い空に走り初めた幾流れもの雲や、そしてぽつかりと空洞《うつろ》に落ちたこの明るさ――ひとまづこれで、ぱつたりと杜絶する生活力の断末魔《あごにい》が山といふ山に、路に、藁屋根に、目に泌みるリズムとなつて流れてゐる。女衒もすでに黒谷村を去つて、沈滞した村の軒からは、何か呟く呪ひの声が洩れてくるもののやうに感ぜられた。そして龍然は、物置から埃まみれな草履を一つ探し出して、下駄とちんばにこれを突つかけながら、黒い法衣を秋風にさらし、流れはぢめた雲の慌ただしさに狂燥を感ずるものの如く、村の法用に山門をいそがしく往来してゐた。凡太はぢつと帰ることを考へた、いやむしろ、立ち去つた後の黒谷村の侘しさを、恰かもそれが永遠に自分の棲まねばならぬ運命の地であるかのやうに、呆然と思ひやる日が多かつた。
 もう九月に這入つた一日、凡太はいよいよ出立した。その未明、まだ明け切らぬ黒谷
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