つたのはあながち金切声のせいばかりではなく、正気できいたら噴き出さずにはゐられぬやうな支離滅裂を極めた句と句の羅列であつたからで、「大日本帝国は万世一系の……」と言つてゐるかと思ふと、「ああ拙僧の名誉も地に落ちたり、忠君愛国のほまれも空し、ああ悲しい哉……」「印度に釈迦|瞿曇《くどん》生誕してここに二千有余年――」等々々。
 凡太は一体龍然の学識には相当の敬意を払つてゐたのだつた。それは彼が初めてこの寺へ第一歩を踏み入れた夜のこと、龍然はその書院にかなり堆《うずたか》く積まれた書籍を隠すやうにしながら、「売り払ふ古本屋も山の中には無いので……」と恥ぢた顔付をした。凡太の経験に由れば、書籍を所有することに心から恥を持つ人は、おほむね勝れた学識を持つ人達であつたから、龍然の学識に対しても、忽ちこの時から敬意を払ふことにして、別にそれ以来議論を交したこともないから、そのままその時の敬意を払ひつづけてゐたのだつた。ところが隣座敷の狂態たるや支離滅裂も何もあつたものではない、土台論理も論旨もあるわけでなく言葉の体裁をさへ調へてはおらぬのだから、或ひは発狂したのでもあらうかと思へば、恐らくさうでも
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