に対しては甚だ謙虚な心を懐いてゐて、自分はとうてい[#「とうてい」に傍点]虚無に殉ずる底の深遠な実際を味得しうる人物ではない、自分は浅薄な男で、本来楽天主義者でもなければ虚無主義者でもなく、常に何事も突き詰めることを避けるところのいはば一種の気分的人生ファンで、取柄といへばその自分の人生に対して甚だ冷淡そのものであること、それくらいなものであらうとあきらめ[#「あきらめ」に傍点]をつけてゐたから、人生を理論で争ふ意志は毛頭持たなかつたばかりでなく、他人の深い虚無感に対しては、常にこれを深刻なる先輩として、実際まぢめな意味で若干の敬意を払ふことにしてゐた。彼はただ、彼自身の立場としては全てを漠然と感じればそれでよい、それを単に言葉に表はして憂鬱なる一時《ひととき》をさらに憂鬱にすることは退屈以外の何物でもあり得ない――実際それは退屈以外の何物でもなかつたから、その時も彼はいそいで口を噤むと、もはや別の事をぼんやり考へはぢめて、一体全体そもそもこの龍然と呼ぶどんよりとした坊主が、通夜の席上で啖呵を切つたといふ耳よりなゴシップは果して真実であるのか、と、そんなことにひどく興味を持ち出してゐた
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