経歴を持つてゐたが、日頃無為の境遇に倦怠して激しい虚無感を懐いてゐた。「自分のやうな無為の存在は結局一匹の守宮《やもり》ほどもこの世界とは関係を持たないらしい、広々とした建物の中にぢつと坐つてゐると、其処に人間が居るのだか居ないのだか、まるきしその気配さへ分らないし、たとへ其処に居るとは分つても、人々はこの建物に当然の染《しみ》ほどにしか考へない、守宮《やもり》を発見した時のやうな賑やかな騒しさでは誰も自分の存在を問題にすることがない。やがて自分は死ぬであらうが、自分の死滅したのちもこの古い厳めしい建物はなほ厳然と存在してゐて、人々は尚その中に住み乍ら、むかしこの建物の中に自分といふ存在が染《しみ》のやうに生きてゐたこと、今は已に消滅して見当らぬことなどを考へる者もなく、第一その話を思ひ出してさへ、かつて自分が存在したゞらう確証を認識するにさへ困難して苦笑するであらう。いはば自分は死の中に生き続けてゐるやうなもので、結局生命にひけめ[#「ひけめ」に傍点]を感じながら、生きてゐる限りは存在に敗北しつづけてゐるやうなものだ……」と、その男は結局これと同じ内容のことを種々な様式によつて常日頃
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