の夜ほど深い満足と共に杯を把りあげたことは無かつたので、盛んに饒舌を吐きちらしながら盃を重ねてゐたが、遂ひには軽快な泥酔状態に落ちて、老婆を相手に難解な術語などを弄しながら人生観を論じ初めたりしたが、老婆は至極愛想が好くて、「さうですぜの、ほんとうに、その通りですぜの」と相槌を打つてゐた。やがて夜が一段と更けて、壁の中から何か古臭い沈黙が湧いて出るやうな気配を、幾度となく感じはぢめる時刻になつてゐた。――そのうちに、女中も踊りから帰つて、賑やかな足取りを金比羅山の山つづきのやうに土間の中へ躍り込ませて来たが、すると、直ぐそのうしろからのこのこ[#「のこのこ」に傍点]と頸を突き入れた小男を見て、凡太は愕然とした。それは疑ひもなくあの女衒で。――女衒は上框《あがりかまち》に腰を下して片足を膝に組みながら、鋭く凡太に一瞥を呉れたが、すぐに目を背《そ》らしてそ知らぬ顔をつくり、二階へ上つた女中に向いて「もう上つてもよいのか」と、ひどく冷い横柄な言葉を投げた。それらの全ての物腰には、凡太にとつてとうてい[#「とうてい」に傍点]なづむことの出来ない冷酷な狡智を漂わしてゐたので、彼はむらむらと憎悪を
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