なかつた。取柄といへば、意地の悪いところをまるで持たないことと、田舎者じみてゐるくせに、都会的な感覚なり見解なりを、平凡ではあるがしかし本質的に持ち合せてゐたことだつた。龍然は父母もなく妻もない一人者で、黒谷村の橄欖寺《かんらんじ》に若い住職であつたが、凡太がふと彼を思ひ出した瞬間には、まだ一度も見た筈のない龍然の法衣を纏ふた姿が、何等の不思議さも滑稽味もなく歴々と其処へ立ち現れた程、本来坊主くさい男だつた。額をつき合してゐたら、一時間でも退屈するであらうのに、一夏起居を共にするとしたら、考へただけでも重くならざるを得ない、まして、彼の調べた地図によれば、黒谷村は成程山奥には違ひないけれども極くありふれた山間の盆地にすぎないやうであつた。しかし其の年、凡太は次々に起る不愉快な出来事に齲《むしば》まれて自棄まぢりの重苦しさを負担してゐたから、東京にゐて憂鬱の尾を噛みしめるよりはまだしもまし[#「まし」に傍点]であらうと考へ、リュックサックを背にして夜汽車に乗り込んでみたが、重荷は汽車の速力に順《したが》つて深くなるやうにしか思はれなかつた。
翌朝山間の小駅に下車して、ぽろぽろと零《こぼ
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