てゐた。ありていに言へば、この男は如何なる面白い瞬間にも、それに直面してゐる限りは常に退屈しきつてゐて、今のことではない、その昔経験した一場面の雰囲気へ、何時《いつ》ともなしにぼんやりと紛れ込んでしまつてゐる。音楽をきいてゐてさへ、スポオツを見てゐてさへ、無論矢張りそれはその通りで、現在ショパンの音楽をききながら、それにすつかり退屈を感じて、いつか聴いたモツアルトの旋律を思ひ出してそれにうつとり傾聴してゐたり、一塁の走者を見てゐながら頭の中ではそれを三塁へ置いて盛んに本塁盗塁《ホオムスチイル》を企てさせて興奮してゐたり、さういふ芸当は日常茶飯のことで、それでゐてショパンの音楽を聴いてゐなかつたわけでもない証拠には、他日又その瞬間を実に楽しく彷彿と思ひ出して来るのであつた。ショパンはいい、ショパンの音楽は実に素敵だと夢を追ふやうに慌ただしく知人達に吹聴しながらショパンの演奏される日を待ちかねて音楽会場へ殺到するのだが、さて腰を下してぢつとしてゐると幕も上らぬ頃から又してものべつ幕なしにうんざりと退屈しきつて、演奏の終る時までやたらに別のことばかり考へてしまふ。興奮することを知らない男かと
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