調な波動を、やりきれぬ程その全身に深々と味つてしまふのであつた。暫くして彼はその状態から覚醒しはぢめるとき、まづ何事か熱心に暗中模索を試みる情緒の蠕動を感じて、やがてしんしんと澄みきつてゐる白板の中へ次第にありありと現像する外界を漸次再認するのであつたが、彼はこの夜もその同じ過程《ぷろせす》を経過して、漸次現実の静寂が耳につきはぢめてくると、其の時その静かな夜気の中にふと湧き出でて次第に波紋を拡げてゆく狂燥な笑ひ声を鋭く耳に聴いた。しかし彼は、この覚醒の瞬間に於ては、もはや絶対に物に驚くといふ心情を消失してゐる習慣であつたから、泰然として蟇《がま》のやうに蹲くまりながら、ぢつと下から由良の顔を見上げた。
「あなたもいくらか気狂ひですね。龍然もやはり気狂ひです……」
由良のぺらぺらと流れる癇高い声を聴きながら、彼はしかしこのふくよかな肉附を持つた女が、粗雑な言葉とは全く逆に妙に古風な瓜核《うりざね》顔をしてゐること、それは古い絵草紙の人物のやうな一種間の抜けたおとなしさ[#「おとなしさ」に傍点]さへ表はしてゐること、かなり酒に酔ひ痴れてゐること等を一纏めに感じ当ててゐた。凡太はどうした
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