つたが、しかし凡太の心には、深い哀愁が長く長く尾をひいて消え去らなかつた。一体この朝夕、龍然の超然とした物腰には、隠しがたい陰惨な影がほのかに滲み出てゐることを、凡太は見逃すわけにいかなかつた。凡太の思ふには、これは一つには女の事情でもあらうと一人心に決めてゐたために、そのために何故ともなく、淋しい思ひが尚強く胸にこたへてきた。しかし温泉で酒をくんでも、女の話には、もはや龍然は一言だにふれなかつた。
いつとはなく盆に近い季節となつて、夜毎に盆踊りの太鼓が山の上に鳴りつづいてゐた。盆とはいへ、この辺りでは八月にそれを行ふ習慣であるから、もう夏もすつかり闌《た》けて、ことに昼は蝉の音にさへ深い哀愁が流れてゐた。その朝、龍然は五里ばかり離れた隣村の豪家から使ひを受けて、かねて知り合ひの其処の次男が急死したために、通夜に招かれて一泊の旅に出掛けてしまつた。ただ一人ぼんやりと夜を迎へたら、蜩《かなかな》と共にとつぷり落ちた夜の太さに堪らない気持がして、かねて馴染の居酒屋へ酔ひに行こうかとも思案したけれども、尚満ち足らぬ気持があつたので、凡太はガランとした本堂へ意味もなくぐつたり坐り込んでゐた。
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