髪にした女人の大柄な形をみとめたのであつた。三本路のことであるから、別に擦れ違つたのでもなく特別な注意もしてゐなかつたので、凡太はその顔を見なかつたが、暫くして、あれが俺の女で苫屋由良といふ名前だと龍然はふと言ひすてた。実はその時、ほんのわづかではあつたが、まだそれを口に出さない龍然の沈黙の数秒の間に、已にそれを感じさせる何がなしの感傷があつたので、凡太は疾くそれを悟ることができて、どんよりと澱んだ黄昏のなかへ波紋を画きながら拡がつてゆく太い憂鬱を味はつてゐた。そして龍然が口を切るまでの短い沈黙を、堪えがたい長さに圧しつけられてゐたので、その言葉をきいた時にははや振り返る気持にもならなかつた。しかしとにかく振り向いて、女の後姿よりはむしろその前方に暮れかかつてゐる已に漠然とした山山の紫を、ぢつと目に入れて頸を戻したのであつた。それでも気のついた限りでいへば、女は浴衣をきてゐたが、その着こなしが確かに都会生活を経てきたにちがひない面影をあらわしてゐた。ただそれだけの観察であつた。二人は又こつこつと狭い間道を歩いて、その時もはや龍然の物腰にはいつもの残骸といふ感じしか見当てることは出来なか
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