物でも謙譲でも、まして卑屈でもなく、第一凡太にしてからがその時は龍然の方が遠路の客人であるとしか考へられないのであつた。二人は寝転んだまま何の話も交へないで、ただ漫然と二時間三時間を過すこともあつたが、出発する前に予想したやうな退屈や気づまりは全く感ずることも無かつたし、そのうちに二人とも睡り込んで、やがて一方が目を醒して散歩に出てしまふと、間もなく一方も目を醒して、がらんとした寺の空虚を噛みしめながら、初めから自分一人で其処に寝てゐたやうに考へながら自分の営みに立ち去つてしまふ。この気楽さから身体を運び出して漠然と黒谷村を彷徨すれば、村がいかにものんびりと胸に滲みるのは尤もな話であつたが、それにも増して、本来橄欖寺そのものの内側にも淫靡な靄が漂ふてゐたから……。それは毎晩のことだつた、気のせいか、多少は音を憚かる跫音《あしおと》が、しかしかつかつと甃《いしだたみ》を鳴らしながら、山門を潜つて龍然の書院へ消え去るが、それは夜毎にここへ通ふ龍然の情婦であつた。もとより龍然は、わざと情婦を凡太に紹介することもしなかつたけれど、さりとて隠し立てするわけでは無論ない、静かすぎる山奥の夜であるか
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