黒谷村
坂口安吾
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)泌《し》む
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)亦|一瞬《ひととき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)まし[#「まし」に傍点]
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矢車凡太が黒谷村を訪れたのは、蜂谷龍然に特殊な友情や、また特別な興味を懐いてゐたためでは無論ない。まして、黒谷村自体に就ては、その出発に先立つて、已に絶望に近いものを感じてゐたのだが、それでも東京に留まるよりはまし[#「まし」に傍点]であると計算して、厭々ながら長い夜汽車に揺られて来たのだ。
夏が来て、あのうらうらと浮く綿のやうな雲を見ると、山岳へ浸らずにはゐられない放浪癖を、凡太は所有してゐた。あの白い雲がうらうらと浮いて、泌《し》むやうな山の季節を感じながら、余儀ない理由で都会に足を留めねばならぬとき、彼は一種神経的な激しい涸渇を感じて、五感の各部に妙な渇きを覚えながら、不図不眠症に犯されてしまふ。特別な理由があるわけではないが、彼の半生を二つの風景が支配してゐた。一つは言ふまでもなく山岳であり、そして他の一つは、あのごもごもとした都会の雑踏であつた。この二つの中へ雑《まじ》るとき、彼はただ、何といふこともなく確かに雑るといふ実感がして、深く身体の溶け消えてゆく状態を意識することが出来るのであつた。日頃負ふてゐる重荷をも路傍へ落し忘れて、静かにそして百方へ撒かれてゆく軽快なリズムを、耳を澄ませば一種じんじんと冴えわたる幽かな音響に、聴き分けることも出来るのであつた。彼は元来脆弱な体質で、山に攀挙することの苦痛は並大抵なものではなかつた。しかし山を降りてからのまる一年、またうらうらと雲の浮く季節になるまでといふもの、追憶の中に浮び出る青々とした山脈の姿は、その彷彿とした映像の中に登攀してゐる彼の像が、その時は喘ぎ苦しむこともなく、ただひたひたと四方の明暗に浸透してゆく愉快な実感を認識させるのであつた。山の沈黙にゐて思ひ出す雑踏の慈愛と同様に、雑踏にゐてふと紛れ込む山脈の映像は、恰も目に見え、耳に冴え、皮膚に泌みる高い香気を持つものであつた。それは丁度、使ひ古して疲労困憊した観念が、その故郷《ふるさと》に帰滅してゆくかのやうな懐しさを持つものであつた。その劇しいのすたるぢい[#「のすたるぢい」に傍点]に
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