感じて女衒の顔をうんと睨みつけたが、女衒は平然としてとんとんとんと二階へ上つてしまつた。「やいやい待て。そして戸外《おもて》へ出ろ。喧嘩をしてやるから――」と、凡太は憤然叫び出したい勃勃たる好戦意識を燃したが、やうやくそれを噛み殺して、一とまづ考へ直した。しからば女中を張つて鞘当をしてやらうかと、無性に癪にさわり出してつまらぬ空想をめぐらしはぢめたが、勿論張りがひのある女ではないから、一晩中女衒と交代に女を抱くとしたならば、蓋し一代の恥辱であると痛感して、憤然居酒屋を立ち去ることに決心した。老婆と女中は驚いて、「旦那が先客でありますぞい、おとまりなさいまし」とすすめたが、決心止みがたいこと磐石の及ばざる面影を見出したので、「又だうぞ」と言ひながら奥から提灯を持ち出してきて無理に凡太に持たせた。家並の深く睡りついた街道にさて零れ落ちて一歩踏みしめてみるに、意外に泥酔が劇しくて殆んど前進にさへ困難を感じる程だつたので、手にした提灯のうるささに到つては救ひを絶叫してわつと泣き出したいばかりだつた。やり切れなくなつて振り向いてみると、幸ひ老婆はまだ戸口に佇んでこちらを見てゐたから、凡太はほつとして提灯を道の中央へ置き棄てたまま、一目散に逃走を開始した。睡つた街道の路幅一杯を舞台にして鍵々に縫ひ転がりながら、時々立ち止つては一息入れて遂ひに黒谷村の西端れまで来かかると、死んだ四囲の中に、不思議とまだ大勢の人達が路の中央に群れてゐて、それは隣村から踊りに来た若者たちがトラックに満載されて引き上げるところであつた。凡太は狂喜して駈け寄り、「僕も乗せて呉れたまへ」と提議したが、鉢巻姿の若衆は「お主は酔つておいでだから、それはなりませんぜの」と押し止めておいて、臭いガソリンの香を落したまま闇にすつぽり消えてしまつた。凡太は暫く呆然として、消え失せた自動車よりも、突然目の前に転落した闇と孤独にあきれ果てたが、気を取り直し、低く遠く落ちてゆく自動車の響きをも振り棄てて、金比羅大明神の参道をえいえいと登りはぢめた。嶮しい杉並木の坂も中頃で、凡太はつひに足を滑らしてけたたましく数間ばかり転落したが、もう起き上る気持には微塵もならなかつたので、しんしんとして細くかぼそく一条の絹糸程に縮んでゆく肉体を味はひながら、皮膚に伝ふ不思議に静寂な地底の音に耳を傾けてゐると、山の上から人の近づく気配がした
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