もなく、セーターでは暑すぎるような気持の折であったから、
「明日二十円とどけるまでこのセーターをカタにおくことにしよう。女房の手編みで甚だくたびれたセーターだが、二十円なら安かろう」
娘も承諾して、野村のぬいだセーターを片腕にくるくるまきつけて戻っていった。
「あこぎな附け馬だね。本当にセーターを持ってっちゃったよ。サイダーなんてものには酒ほどの人情もないらしいな」
「そうなんですよ。あの娘には、ちょッとフシギなところがあります」
「そうかねえ。物を知らない田舎娘ッて、あんなものじゃないかね」
「今の様子はそうですがね。一瞬間、ボクは幻を見ました。桂馬を見たんです。いえ、気のせいじゃない。ハッキリと見たんです。四五の桂です」
野村は返答の仕様がなかった。対局中神経がたかぶっているのだろうと思ったから、わざと話しかけもせず、肩を並べて黙々と宿へ戻ったのである。五時であった。木戸が中座してから一時間四五十分すぎていたのである。
木戸は座につくといきなり四五桂とはねた。ところが、これが悪手だったのである。彼の見落した妙手があったのだ。若輩に一時間四五十分も座を外されて津雲は立腹していた
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