は盤面の桂の鋭さきびしさを感じたのだから目をみはった。が、それはその瞬間だけのことであった。彼が目をみはったので、娘は彼以上に目をみはって、
「ダメよ」
 と大声で叫んだが、そこにはありふれた怒気があるばかりで、むしろ彼をホッとさせたのである。娘は彼の袴姿をジロジロ見て、
「変なカッコウしてるわね」
 と云ったので、彼も声をたてて笑いだしたが、そのハズミによいことに気がついた。
「そうだ。下の谷川で知ってる人が魚を釣ってるから、一しょに橋まで来ておくれ。その人から借りて払うから」
 たった二十円のことだった。娘がついてきたので二人は釣りをしている野村のところまで降りて行って、
「二十円かして下さい。実はお金をもたずにサイダーをのんじゃって」
「そうかい。サイダーの附け馬というのは珍しいな」
 と野村は立ってズボンのポケットをさぐっていたが、
「しまったな。ボクもお金をもたないよ。上衣を宿へ脱いできたもんでね」
 十月の始めであった。とかく気候の変り目にカゼをひきがちの野村はセーターを用意してきて、釣りにでるのにセーターに着かえてきたのである。どんより曇った日であったが、寒いという陽気で
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