て、そして俄かに、折から疾走してきた一台の自動車を呼び止め、それに乗つて瞬くうちに走り去つてしまつた。全くそれは一瞬にして已に見えなくなつたのである。
 先生もはじめて我に返つた。随分遠い所までウカウカ歩いて来たものだと思つた。そして見廻したところ、そのへん一帯の何物も先生の嘗て見知らぬ場所であつた。自分も空車を止めて早速にも帰りたいと考へたが、生憎通つた数台の自動車は客を載せて疾走する慌ただしい車で、アッケなくブウンと唸りを引いたまま行つてしまふと、暫時《しばらく》のうちは運悪く右も左も車が途切れて、空虚な侘しい道のみが線路を無気味に光らせ乍ら其処に残つてゐただけであつた。
 そのうへ道のあちら側に小さくあるが巡査の姿を認めたので、先生はどういふものかギョッとして、直ぐさま振返り、今来た同じ路を歩いて帰ることにした。その路は、それは次第に邸宅の並んだ睡つたやうな街になつて、門燈の奥手の方に黒く大きく建物が輪廓だけの塊りとなつて見えたのである。
 やがて幾曲りかするうちに、今迄よりはやや広いひどく立派な並木路へ出た。恐らく八間ほどの道幅であらう。時々鈴懸の隣り合せに伊達なこしらへをした
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