頃であつたが、先生は不思議な青年に目を止めたので、なぜともなくその後をつけることにした。尤もその青年はそれほど風変りなわけでもない。ただ夜更には、行人といへば、多く吹溜りの屑のやうに零《こぼ》れ残つた三々五々の連れ立ちであるのに、この青年は一人ぽつちで、それも至極淡々と羨ましいほど心なく、恍惚として静かな足を踏み流してゐる。ただそれだけのことであつた。先生はここに一人の肉親を見出でたやうな懐しい思ひがしたので、ふと一瞬に後をつけはじめたわけであつたが、暫しのうちに先生も亦道行く我を忘れてゐた。
 青年は有楽町でも止まらなかつた。日比谷をも素通りしてヒッソリとした濠に沿ひ尚も緩やかに歩むのである。やがて片側に厳《いか》つい建築の立ち並んだ辺りも通り過ぎて尚も暫く歩いたかと思ふと、さういふ建物に挟まれた一つの道へにはかに曲つた。そこはかなり広さもあるアスファルトの並木路で、人気なく死んだやうに静かであつた。それから青年はさういふ道を幾曲りとなく曲つて、軈て遂にやや明るさの花々しい電車路――それとても睡むたいやうに朦朧とした、もはや殆んど人気ない山の手の道であるが、兎も角も電車通りへ立ち現れ
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