とであった。本因坊が何を忘れてきたのだか知らないが、とにかく家に忘れ物をしてきたから、取ってきたいと言う。本因坊と呉清源とは一緒に風呂へはいったが、その風呂の中で、本因坊が呉氏にこのことをもらしたらしい。
風呂をでてくると、呉氏は読売の係りの者をよんで、争碁というものは打ちあげるまでカンヅメ生活をするのが昔からのシキタリであり、特に今回の手合は大切な手合なのだから、カンヅメの棋士がシキタリを破って外出するのは法に外れたことではありませんか、と、言葉は穏かだが、諄々と理詰めに説き迫ってくる気魄の激しさ、尋常なものではない。
蓋し、十数年前のことだが、呉氏がまだ五段の当時、時の名人、本因坊|秀哉《しゅうさい》と、呉氏先番の対局をやった。この持ち時間、二十四時間だか六時間だか、とにかく、時間制始まって以来異例の対局で、何ヶ月かにわたって、骨をけずるような争碁を打ったことがある。
この時は、打ちかけを、一週間とか二週間休養の後、また打ちつぐという長日月の対局だから、カンヅメ生活というワケにも行かない。
呉氏良しという局面であったが、この時、秀哉名人が、一門の者を集めて、打ち掛けの次の打
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