も、実際は、日本人ぐらゐ笑ひの欠如した世界で訓練を受けてきた国民は外にない。愛情の露出する余地がなく、形式一点張りの世界で訓練され、笑ひも泪もあるものぢやない、左様、然らば、で人生が終始した。
 かういふ人生に文学などは有り得ないと僕は考へてゐたのであつた。ところが、僕の考へは間違つてゐた。

 今年の五月廿日、長崎の何か商船会社かの楼上で切腹して果てた船長があつた。菅源三郎といふ六十になられた人である。長崎丸の船長で、長崎丸が機雷にふれて沈没したことに対し、責任をとつて自裁したのであつた。
 この船長は大東亜戦争の始つた日、上海沖でアメリカ商船を見つけ、無装備の商船ながら之を追跡、体当りの意気込みで、とうとう之を拿捕《だほ》したといふ武勇をもつた人である。古武士さながらの大丈夫であつたらしい。
 ところが、この船長の奥さんが、良人の通夜の席で亡夫の霊前にさゝげたといふ和歌がある。

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百花の咲きて青葉のよき時に
      男らしくも人死にゝけり
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 美しい歌だと思つた。
 愛情や悲しさの、かういふ表現の仕方のかういふ例は或ひは外国にも
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