有るかも知れぬ。又、有る筈だ。けれども、かういふ表現それ自身が生活自体となつて生きつゞけて来た国は日本以外にはなからう。
 大東亜戦争このかた、日本文学の確立だとか、日本精神の確立だとか言はれてゐるが、日本精神だとか日本的性格といふものは決して論理の世界へ現れてくるものではなく、又、現はし得べき性質のものではない。
 なるほど、日本といふ国は変な国なんだなアと、僕はこの和歌を読み、泌々《しみじみ》嘆息を覚えた。日本人が奇妙不思議な国民なのだ。
 日本精神だの日本的性格などを太鼓入りで探しまはる必要は微塵もない。すぐれた魂の人々が真に慟哭すべき場合に遭遇すれば、かくの如く美しく日本の詩を歌ひ出してくるではないか。
 町人の生活からはイカモノにしか見えなかつた武士の世界が、かういふ精神や、かういふ表現や、かういふ芸術に結びつくと、不滅の光を放ち、生きてくる。
 さるにても、かゝる見事な伝統の文学精神を露ほども心得ず、アッ、万歳、涙が流れた! などゝいふ新聞記事の氾濫は情ない極みである。僕は断言するが、日本精神とは何ぞや、などゝ論じるテアヒは日本を知らない連中だ。
 菅船長の奥さんの歌は、真
前へ 次へ
全8ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング